こんにちは。集団指導室長の鈴木です。

 4月29日に中原中也記念館を、5月1日には永井隆記念館を訪れました。奇しくもそれぞれの日にちは、お二人の命日でした。中原中也記念館はそのために無料で入館させて頂くことができました。本当にありがたいことです。

 そして本日は、金子みすゞ記念館を訪れました。※本日は、金子みすゞさんの命日ではありません。

 金子みすゞさんの詩で、「弁天島」というものがあります。以下、引用致します。

「あまりかわいい島だから
ここには惜しい島だから、
貰ってゆくよ、綱つけて。」
北のお国の船乗りが、
ある日、笑っていいました。


うそだ、うそだと思っても、
夜が暗うて、気になって、
朝はお胸もどきどきと、
駈けて浜辺へゆきました。
弁天島は波のうえ、
金のひかりにつつまれて、
もとの緑でありました。

 みすゞさんは、弁天島のことを本当に心配し、無事だとわかると心底安堵したのかな、と思わせられます。私が最も衝撃を受けたのが、翌日の朝にどきどきしながら弁天島がまだそこにあるかどうか走って確認をしに行っている箇所です。

 現代でも、ここまで気になって行動できる人は少ないのではないでしょうか。みすゞさんの詩が今日でも人々の胸を打つのは、こういったけなげな純朴さを多くの現代人が忘れているからだと思われます。

 また、みすゞさんは26歳の若さでこの世を去っています。死因は自殺です。子どもの親権を夫に奪われてしまうことが理由だと思われます。みすゞさんには離婚後、夫から禁止されていた詩の創作を再開するという道もあったのではないか、と思ってしまうのですが、愛娘を自分が育てられない苦しみは、そのことを上回って余りあるほどだったのでしょう。それほどまでに、子どもはかけがえのない存在だったのです。

 私たちにとって、子どもはかけがえのない存在になっているのでしょうか。

 様々な報道から、とてもそのようには思えないような風潮があるのも事実です。

 金子みすゞさんの詩とその生き方は、現代の人々が忘れかけているものが何かを思い出させてくれます。日常当たり前のように存在しているかけがえのないものを、今一度見つめ直したいものです。

 山口県の長門市仙崎にある弁天島です。当たり前ですが、実在していることを目の当たりにすると、詩の味わいがより深いものとなりました。そう感じられることに感謝ですね。