こんにちは。鈴木です。 


 昨日は、附属静岡中学校の体育祭を見てきました。
 企画を拝見したのですが、トップバッターの黒組(D組?)の歌声が素晴らしかったですね。相当な覚悟と練習量で臨んだに違いありません。必死さがビビッと伝わってきました。全体の、息のあった動きも印象的でしたね。例年、トップバッターは損な役回り(それが基準となってしまうので、後の組は「これ以上の声を出そう」となりやすいため)だなぁと思ってしまっていたのですが、企画で優勝したとのことで、「やはりそうか!」と納得しました。一番手で優勝は本当にすごい! よいものを見させて頂きました。ありがとうございます。

 さて、朝ドラが「あんぱん」から「ばけばけ」に変わりました。

 これは賛否両論あると思いますが、個人的には、「あんぱん」は子役のときのお話のほうが面白かった印象でした。子どもたちの演技は、確かに演技もあると思うのですが、大人たちと違って計算高くなく、必死さが画面越しに伝わってくるため、見ていて気持ちがよいのです。

 「ばけばけ」に関しても同様で、子どもたちの必死な演技を見ていて、胸が熱くなります。ご覧になっている方はわかると思うのですが、例えば以下のようなシーンがありました。

 謎の失踪をした父親。
 必死になって父親を探すおトキ(主人公)。
 偶然、父親を見つけ、一緒に帰ろうと説得する場面で、次のようなセリフが放たれます。
「何があったかなんて、どうだってええ!」
「生きちょっただけで、十分だけん!」
「(なおも「じゃが…」と抵抗する父親に向かって)ああ〜! じゃがじゃがじゃがじゃがじゃがじゃがじゃがじゃが、うるさいなあ!」
そうしておトキは、父親がいないと大好きなしじみ汁がちっともおいしくないという話をします。

 感動的なお話です。その後の父親のクズ話などがなければ文句なしだったのですが(笑)。

 塾でもそうなのですが、子どもたちは打算的ではなく、毎日生きるのに必死である感じがします。そういう姿を見るたびに、こちら側は反省でしかないですね。

 何を格好つけていたのだろう…。
 なぜスマートにやろうだなんて思っていたのだろう…。
 損得で動いてはいけないな…。

 などなど。

 大人は、どこかに「必死さ」を忘れてきたのかもしれません。
 子どもたちの姿を見ていると、「考える前に動け!」というのも大切だなと学ばせてもらえます。「いやいや、考えが先でしょ!」という方もいらっしゃるかもしれませんが、大人はどちらもできるはずですから、大人だからといって子供らしさを失わなくてもよいではないか、と思うのです。

 体育祭しかり、朝ドラしかり、子どもたちからはいつも生きる上で大切にしたいことを教えてくれます。ありがたいことですね。