
おはようございます。鈴木です。
とある番組で、俳優の瀧内公美さんと尼僧の青山俊董さんの対談がありました。
青山さんは曹洞宗の大教師(曹洞宗で最も高い教育資格)に女性として初めてなられた方で、御歳92歳。番組内で発せられるお言葉も相当なものでした。以下、その断片を記しておきたいと思います。
同じ紙でも掛け軸になったりいろんな紙がある。
紙の配役の中で、(お手洗いの用を足した後の紙は、)自分の体を汚しながら相手を清めて、しかも捨てられていく。
この配役が私にもし来た場合、私は喜んでできるだろうか、と考えた。
お手洗いの紙はなかったら困る。一番大事なもの。
一番大事なものでありながら、ちっともありがたいと思わないで捨てている。
しかも、自分を汚しながら、相手を清めながら捨てられていく。
これが仏でなくて何だろう、と考えた。
私にこの配役をもらったら、私はできるだろうか、と考えたときに…、考えちゃいましたね。
私はこの頃、お手洗いにいくたびに、紙に手を合わせている。ありがとう。
有名になりたいとか、成功したいとか、金が欲しいとか、失敗したらなんとかとか、我々のこの小さな欲望の満足だ。欲望の満足だけを追いかける。欲望が主人公になって、その奴隷になって、欲望の主人公の奴隷となっての人生。(そんな)100年の人生よりも…、私自身が主人公になって欲望を調整していく。あるべき方向に向ける。欲がイコール悪じゃなくて、「勉強しよう」というのも欲、「よりよく生きよう」というのも欲、「世間の人の、少しでもお役に立とう」というのも欲。欲を方向づける。そういうことではないかな。
以上のようなことをおっしゃっていました。「日常見過ごされがちなあたりまえに感謝しなさい」、「自分ではない人生を生きるな」というような、力強いメッセージに聞こえます。番組内では、こういった話のみならず、あらゆる話をしてくださっていましたが、あれやこれやが胸に刺さり、よいお話を聞かせていただいたな…という気持ちにさせられました。その人の体から発せられる真の言葉は、胸に響くのですね。ありがとうございます。

