おはようございます。集団指導室長の鈴木です。
今日は、異世界についての話をしたいと思います。異世界といえば、『異世界おじさん』というアニメを昨年見ていました。「異世界マンガ」と言われるように、現代のトレンドを表すひとつのことばだと思います。
今回お話させていただくのは、そういった枠での異世界ではありません。世代間の感覚の違いというニュアンスで扱いたいと思うんですね。
例えば、漢字。
Z世代とも呼ばれる今の世代は、漢字を習う意味がわからないのではないかと感じます。「だって、スマホで検索すればすぐに出るじゃん。暗記する必要ってそもそもあるの?」という具合に。塾の生徒でも、そういう認識の子は多いと思います。「あえて誰かに伝えたことはないけれども、実はそう思っている子」を含めれば、相当数いるのではないかと思います。
一方で、親御様からすると、「漢字を習わない選択なんてあるの?」と思われるのではないかと思います。そうして、何とかして子どもたちに漢字習得の意義を伝えようとするのですが、「なかなか伝わらない」「わかってもらえない」という声をよく聞きます。
「住んでいる世界が違う」、あるいは、「見えている世界が異なる」のではないかな、と思うのです。
結果、衝突が起こる。子どもは親が理不尽だと思い、親は子が理不尽だと思う。そして、衝突の結果、子どもの自己肯定感(自己重要感)は下がってしまうのが現状だと感じます。だから、日本人の自己肯定感は、世界から比べると著しく低くなる。漢字の例にとどまらず、さらにInstagramやTikTokで「いいとこどりされた」投稿を見れば、「みんなはとても良い人生を送っている。それに比べ、なんて自分は恵まれていないのだろう」という感覚が肯定感をより下げていくという悪循環に陥る・・・ということがありうるのではないでしょうか。そういった意味では、今の子どもたちの世界は、我々大人が思っている以上に生きづらい状況になっているのではないかと感じます。
漢字の話に戻りますが、昔のように「ただやれ」では通用しない時代になってきました。納得がいかないと、そもそもやる気が起きないのです。その意味で、子どもたちは間違いなく賢くなっています。しかし、その分頭で考えすぎて脳内完結し、行動が起こしにくくなっているような気もするのです。そして、「脳内完結は、やっていないことと一緒」ということを身に染みて理解していない。これが厄介ですね。
ではどうすればいいのか。絶対にコレという正解はないと思います。ただ、私はこう考えます。例えば、芸能人の方が結婚されると直筆でファンの方々にメッセージを載せることがあると思うのですが、そんなときに目にするのは、「こんなに達筆だったんだ」「教養の高さがうかがわれます」といったファンのコメントです。そんなときに「ああ、何のためにやっているかわからなかった漢字だけれども、こういう『イザ』というときにはそれまでに培ったもの全てが出てしまうものなんだな。私も今から丁寧に漢字を覚え、そして書いていこう」と自分で思えるかどうかだと思うのです。
目の前にある物事に、自分で意味を見出せるか。
これにかかっていると思います。多角的で長期的な視野が必要になるので、子どもたちには無理なのでは、と思われるかもしれませんが、そういったことを伝えて教えてあげられるのが大人の役割なのではないかと感じます。「みんな、スマホやメッセージなんかでは手打ちが世の中の主流になっている。そういった意味で手書きは貴重。少数派。だとしたら、そういうことができる人というのは、重宝されるんじゃないかな」という感じでもいいと思うんですね(それでも子どもは納得しないのかもしれないですが・・・そこが難しいですよね。でも、あきらめずに色んな伝え方を考えたいと思います!)。
どんなことにでもやる意義や意味を見出せる力があると、世の中が楽しくて仕方がなくなってきます。ぜひそういった能力を、子どもたちには伸ばしてもらいたいなと感じる今日この頃でした。
岩手県盛岡市にある、南昌荘で撮影しました。盛岡市はNYタイムズ紙で「2023年に行くべき52カ所」に選ばれた都市ということで、観光客が多かったですね。車内からは岩手山が所々で見え、県のシンボル的存在になっているのがよく実感できました。
こちらの南昌荘は光の当たり方を計算した設計になっているのか、あらゆる場所が「映える」ように感じました。床に反射する光が綺麗です。視点が変わると全く異なる見え方をするので、建物の中を歩いていて驚くばかりでした。この建物の設計に象徴されているように、多角的な視点から物事を考えられるようになりたいなと改めて感じた場所でした。