こんばんは。集団指導室長の鈴木です。

 今、写真・動画撮影が目的になっている人が多くないか!? と感じています。食事処でも、「あなた、食事をしに来ていないでしょ」という光景をよく目にします。

 かくいう私もそのひとりなのですが、例えば、旅先でも手段と目的がひっくり返らないように気をつけています。時折、スマホを通した景色はよく見ているのに、実際の風景を直視していないことに気づき、「我ながらアホやな〜」と自分を戒め、その場でじっくりと眺め直す瞬間があります。

 勉強もそうです。目的は第一志望校合格なのに、いつの間にか目の前のテストのことばかり考えてしまう。こんなこと、学生時代にはよくあることですよね。若い頃はどうしても大局観がないのです。だから、目の前のことで一喜一憂してしまう。

 大なり小なり、大人も子どもも同じようなことをしている。だとしたら、これは意識して「そもそも、これを始めた目的はナンダッケ?」と振り返ったり、長期的な視野を養ったりすべきではないかと思うのです。練習しないと、身につかない可能性が高いと思うのです。

 そういった意味で自分の仕事ぶりが変わったな、と感じられたのは、「圧倒的な実力を見せつけたい!」と思って準備を徹底的にするようになってからでした(素の自分は本当に無能だったのです)。それまでは行き当たりばったりのような日々でしたが、次の日、一週間後、一ヶ月後、半年先、一年先を毎日必死になって考え、動くようになったのです。当時は休日だろうがなんだろうが365日仕事をし、寝る間も惜しんで深夜まで、ときには朝まで働きました。これは会社がブラックというわけではありません。なぜなら、会社が命じたことではないからですし、なにより自分の心が望んで働いていただけなのですから。当時は仕事をしながら死のうと本気で思っていました。それくらい、実力をつけたいと思っていたのです。

 何事も、心がないことには始まりません。私のやり方は真似るべきではありませんが、信念をもって事にあたらねば、何もつかまずに終わってしまいます。覚悟をもつことも、時には大切なのです。

 目的と手段をはき違えない。

 長期的な視野を養う。

 心からの行動をとる。

 自分にとっても戒めです。「何かがつかめた」と感じるまでは、まずやってみるのです。正しい努力を続けていると、「やがてこうなるだろうな」という予感が実感とともにわいてきて、そのうち本当にそれが実現する瞬間に出会えます。心が望めば、できないことはありません。私たちは、何にだってなれます。

 目力半端ない。