こんばんは。集団指導室長の鈴木です。
集団授業は夏期講習・8月の通常授業が終わり、本日からフォローデーに入っております。みなさん、お疲れ様でした。
本日から定期テストが始まっています。夏の成果が出るとよいですね。
夏、自習室に通い詰めた子は今日も当たり前のように来ていました。質問もたくさんしていて、「もう自立してきているな。この調子で自ら考え、行動し続けるだろうな」と安心して見ていられるようになりました。
しかし、この段階にくるまでにはかなりの紆余曲折があったことだと思います。
一般に、小学4年生くらいになると、子どもたちは頭で考えるようになります。それまでは言われたことを忠実に、一生懸命にやる傾向にあった子が、この年代になると思考を働かせ、事象に意味づけをしてくるので、一筋縄ではいかなくなります。今までのように言うことをきかせようとすると逆効果-自立の遅延行為-になり、やがてそのことが反抗期の芽となってしまうように思います。この段階に突入した以上は、温かく見守ることに徹します。
しかし、これがなかなか難しい。大人視点で子どもを見ていると至らないことが多いので、つい口を出したくなってしまうのです。ここで子どもを信じ、うるさい小言をグッと飲み込めるかどうか。すべてはその一点にかかっているような気もするのです。
いつまでも親の顔色をうかがっている子の親は、間違いなく口を出しています。だから、子どもはいつまで経っても自立ができないのです。塾でも同じで、あれやこれやと指示してしまうと、自分では何も考えられない人間に育ってしまいます。子どもを信じる。やり方が甘くても、自分で歩み始めているのなら、信じて任せるべきです。
子どもを信じるなんて聞こえはいいけれど、ただの放置じゃないの? そういう声もありそうです。
放置ではないのです。温かく見守る、つまり、ずっと見てはいるのです。しかし、口を出すのは、子どもたちが困って歩み寄ってきたときだけなのです。彼らは経験が圧倒的に不足しているだけで、ほとんどのことは自分でできます。そんな彼らに何を言ったとしても、「うるせえ」「放っておいてくれ」となるだけです。
子どもを信じる。それって難しいな! と感じた時点で、「こちらの思惑通りにしたい」というエゴが働いてしまっているのではないでしょうか。子どもの人生です。他のだれのでもない、その子の人生です。温かい目で、見守ってあげたいじゃないですか。そして、その子が自分の力で様々なことを成し遂げていく姿、それを見届ける以上の幸せがあるでしょうか? 私はそのように思います。
夏の終わりに、子どもたちの成長が感じられたことを嬉しく思っています。うまくいくこと、いかないこと全てがその子の経験です。どうか、温かい目で見守ってあげてください。
見守るニャ! 神戸市の風見鶏の館近くにて。