こんばんは。集団指導室長の鈴木です。

 小学生のとき、授業中に観た映像作品で白虎隊の存在を知りました。現代でいう高校1年生や2年生の年齢にあたる会津藩(現在の福島県)の子どもたちが、戊辰戦争中に自分たちの城(會津鶴ヶ城)が炎上しているのをみて、議論の末、敵に捕まって恥をさらすべきではないとして、集団自決をしたのです。

 若くして死ぬ。自刃の瞬間は、どんな思いであったろうか。小学生の私は死が怖く、自ら命を絶つなど到底考えられませんでしたから、白虎隊の集団自決は衝撃でした。

 大人になり、自刃の地を訪れたとき、生存者が1名いたことを知りました。自決を図ったのですが、通りかかった女性が、まだ息のあることを確認し、救助したのだそうです。傍らには大勢の屍があったでしょうから、その女性がみた光景を想像すると、ゾッとします。

 生存者は、飯沼貞吉さんと言うそうです。その後明治でご活躍され、長生きされるのですが、周りからは「なぜ生きているのか」「恥ずかしくないのか」問われ続けたようです。

 「いいじゃねぇか」と、私だったらそう思います。しかし、当時の人たちが「なぜ生きているのか」と本気で問うている様を聞くと、当時の人たちの腹のすわり方、覚悟というものが並々ならぬものだったのだろうなと感じられるため、簡単に否定はできなくなるのです。現代とは死生観が全く異なっているからです。

 でも…、と思うのです。ひょっとしたら、生きたい気持ちは実は当時の人々ももっていたのではないかと。みんながそう言うから従わないと、という気持ちが強かっただけで、実は今も昔も人間、さほど変わってはいないのではないかと思いたい気持ちもあります。今、自刃して死ねるかと言われれば当然そんな勇気はありませんが、当時は当時で、「それでも生きたい」と言える勇気がなかっただけなんじゃないだろうか…とも思うのです。

 そういった意味で私は、飯沼貞吉さんは勇気のある方だったのではないかと思います。

 私は、現代で死ぬ勇気をもとうと言いたいわけではありません。思っていることがまわりと違うとき、人は同調しがちです。特にこの国は昔からそういうところがあります。そんなとき、正直にまっすぐに自分の思いを人に伝えられる人でありたい。そう思います。

 子どもたちは、大人が結局のところ自分の身を守ることしか考えていない卑怯者ばかりだということをすぐに見抜きます。私たちが見せる姿勢ひとつで、「大人ってこんな感じなんだ」とすぐに呆れられてしまう。お手本になるということには責任がともないます。責任のない大人に見られないよう、腹をくくり潔く生きる。白虎隊自刃の地を訪れたことで、そのような思いが今日、ますます強くなっています。

 會津鶴ヶ城です。

 戊辰戦争の傷跡が残っている頃の写真。

 自刃の地。

 白虎隊はここから、炎上する鶴ヶ城をみたという。