こんばんは。集団指導室長の鈴木です。

 ようやく「17才の帝国」の再視聴が終わりました。ここ数日、同じドラマの話ばかりしてしまい、申し訳ございません。しかし、2年前とはあまりにも抱く印象が異なっているので、書かざるを得なくなりました。

 このドラマは、「ウーア(Utopi-AI)」と呼ばれる実験都市が舞台となっており、そこでは「ソロン」と呼ばれるAIが政治をサポートしています。「ソロン」とは、古代アテナイ(アテネ)の政治家で、政治の腐敗を防ぐために法律を定めた人物の名前です。その改革は「ソロンの改革」と呼ばれ、民主主義の基礎を築いたとされています。

 この物語は「政治の腐敗を正し、新たな民主主義を希求する」話です。あらゆる要素が混在するなかで、その主張は全くブレないため、一見混在しているように見える内容が、最後には綺麗に収束していきます。このあたりは、リアルタイムで視聴していると前話との関連がどうしても鈍り、把握しきれないかもしれません。そのため、このドラマの評価はわれています。一部では最終話に向けて失速感が否めないという評価がありますが、それは初めのインパクトが徐々に和らいでいるだけであり、このドラマの真価が理解できていない可能性があります。私もその一人でした。しかし、誰しもがもっていたのに、いつの間にか失っている青さをもう一度取り戻すんだという大人の青春と、今を生きる17才の青春を同時に描き切ったこのドラマは、まごうことなき傑作です。

「彼が掲げる理想は好ましい。ですが、時にあの純粋さが怖くなります」

「裏切ったり、出し抜いたり、だましたり、ごまかしたり…。そんなことが当たり前の世界にいると、むしろ純粋なものの方が怖くなる」

 このドラマを象徴しているセリフのひとつです。子どもの純粋さが、大人を腐敗だらけの世界から救い出すというストーリーなのです。いつの間にかあきらめてしまっていた理想を実現させていく物語なのです。

 第1話から第5話(最終話)まで、答えが明言されていない問いかけがあります。

「なぜ、ソロン(AI)は17才の青年を実験都市の総理にしたのか?」

 答えは明白です。17才でなければ、大人を感化し、社会を変えさせることはできなかった。この物語は、どこまでも青い作品なのです。この作品を観ていると、塾で子どもたちと交流させていただけるありがたさを思わずにはいられません。私もまた、子どもたちの青さに感化されているひとりなのです。

 新倉山にて。富士の青さに心が洗われます。