おはようございます。集団指導室長の鈴木です。

 数日前、ようやく『忘れられた日本人』を読了しました。早くから読み始めたはずが、こんなにも月日が経ってしまいました。

 読了翌日、今度は畑中章宏さんの『100分de名著 忘れられた日本人』を読了しました。専門家だからこそ言語化できている面が多く、大変参考になりました。今年の7月31日にブログで取り上げた内容(寄りあい)について、以下のように書かれていました。

 いま、まさに民主主義のあり方が取り沙汰されていますが、そのなかではしばしば少数意見の切り捨てなど、多数決が問題とされます。ところが宮本が訪ねた対馬の集落では、何日も時間をかけて複数の議題を、同時並行でみんなが納得するまで話し合い、結論を出すことをしていた。現代人の目から見ると、きわめて効率の悪いやり方です。しかし、これこそ「熟議」と呼べるものではないでしょうか。

 …システム化された現代の議事の進行と比べると、まことに非効率ですが、全員が納得するという意味ではすぐれているとも言えます。いまは少数意見を持つ人に、たとえ納得がいかなくても多数派に従うように求めますが、果たしてそれが民主的なのかという疑問が残ります。少数派の不満がくすぶり続けることになりがちだからです。

 しかしこの寄合(引用者注:原文ママ)では、全員が納得しなければいけないし、最終的な決定は守らなければいけない。

 …これは、多数決で少数の側の人も従わなければならず、決まっている日程どおりに結論を出さなければいけないという現代のやり方とは異なる、もう一つ別の民主主義なのではないでしょうか。

畑中章宏『100分de名著 忘れられた日本人』p.38-41より。

 多数決というのは、効率を求めた先の一種の妥協であるのではないか。それが真の民主主義と言えるのだろうか、という問いかけにも聞こえます。多数決で決まった途端、少数派には発言権がなくなるような気運はときとしてあると思います。非効率であっても、「みんなが納得のいくまではなしあった」のだから、「結論が出ると、それはキチンと守らねばならなかった」(『忘れられた日本人』より)という合議制民主主義。少数派だって意見を言う。そしてだれもが納得する。素晴らしいことだと思います。「そんなのは理想論であって、上手くいくはずがない」という人は、最後まで突き詰めて話し合ったことがない人でしょう。『忘れられた日本人』には、何日もかけてみんなで結論を出した事実が記されています。それだけでも希望の灯火です。私たちは、効率化の名の下、いかに大切なものを失ってしまったのか、考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

 清水寺。行く度に、新たな見方を発見する。なんとも不思議です。