こんばんは。集団指導室長の鈴木です。

 「自転車泥棒」という映画を観ました。第二次世界大戦後のイタリアが舞台のようですが、人々の貧しい生活が主に描かれています。

 父親と息子が盗まれた自転車を探しにいくという話なのですが、この父親の脇が甘すぎて、観ていて若干イライラしてしまいます(笑)。

 というのも、貧しい中で何とか仕事を手にし、その仕事は自転車がないと成り立たないため、故障している自分の自転車を6枚のシーツを売りに出すことでなんとか修理代に当て、ようやくのこと使える状態にしたのに、仕事中に簡単に盗まれてしまうのです。

 息子と共に捜索しても自転車はなかなか見つかりません。自転車がなければ仕事ができない。食い扶持が稼げなくなる。追い詰められた父親は、なんと自身も自転車を盗んでしまうのです。そして息子の目の前で捕まってしまうというお話です。

 幸い、必死になって父親をかばう息子の姿を見た人々が、訴えることまではしないということで事なきを得ましたが、父親としては立つ瀬がないですよね。情けなさからか、父親は涙。そんな父親を見た息子は、自分から父親と手をつなぐのです。

 自分はこうなりたくない! と思わずにはいられない映画です。しかし、息子が父親と手をつなぐ瞬間に救いがあります。その小さな手を、父親も力強く握りかえす描写があり、この映画が貧乏人の絶望ではなく、希望を描こうとした作品であると読み取ることができます。仕事はもちろん大切ですが、それ以上に大切なものが何であるか見失ってはならない。この映画はそんなことを観ている側に教えてくれているようです。

 散歩道に咲いていたたんぽぽです。良い形していませんか⁉︎ 気持ち悪くて申し訳ないのですが、道端に健気に咲いている植物を見かけると、ふらっと道をはずれて撮影してしまうのです。スマホを持つ前はそんなことを考えもしなかったのに、私たちは一体“何”を撮影しているのでしょうか。それは“植物”なのか、はたまた“顕示欲”なのか。考えさせられます。