こんにちは。集団指導室長の鈴木です。

 学生だった頃、北方謙三さんの『絶海にあらず』を読んだことがあります。平安時代に乱を起こした藤原純友(すみとも)という人物が主人公の小説です。最近、NHKで藤原純友の歴史番組が放送され、当時の記憶が掘り起こされました。

 藤原純友は、時の権力者である藤原忠平(ただひら)のいとこ甥(おい)でありました。役人です。純友は忠平から海賊討伐を命じられるのですが、伊予(現在の愛媛県)に土着して地元の海賊と結びつき、朝廷と対立していくのです。

 純友と忠平の違いを象徴するエピソードがあります。

 純友が伊予掾(いよのじょう:愛媛県の第三等官・公卿や貴族の下の位)に任官され4年が経ち、忠平から海賊追捕(ついぶ)の任務が与えられる。すると、約2500人もの海賊が、抵抗することなく、純友の上官のもとに投降をしてきたという。

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 平将門(たいらのまさかど)の乱が関東で起こっていた当時、忠平は純友に官位を授けると約束。彼を味方につけておきたかったようである。都に向かう純友。しかし、乱が鎮圧されるやいなや、忠平は官位の話を反故(ほご)にし、純友の入京を拒否した。

 以上のように、純友は海賊との間に確かな信頼関係を結んでいたのに対し、忠平は人の心を平気で踏みにじるような態度を示しています。人の本性が対照的にあらわれているように感じますね。

 史実では藤原純友の乱は鎮圧され、忠平率いる藤原氏はさらに権力を増していくわけですが、歴史に勝者として名を残してきた側が必ずしも人格者であるわけではなさそうです。むしろ、敗れた者や無名の方々の中にこそ、人の痛みや苦しみを理解し、徳のある政治を行おうとした者が多かったのかもしれません。真の正しさが何かわかりづらい現代ですが、私たちは人間ですから、人のためになることが何かを見失うことなく、裸一貫で事にあたりたいものですね。

 道端の植物。生命力が漲っているようです。