こんばんは。集団指導室長の鈴木です。

 高校生の頃、友人を誘って映画の鑑賞会を行ったことがあります。

 そのときに用意した映画は自分が絶対的にオススメする映画だったのですが、鑑賞時に友人の反応を見ていると、自分ほど面白がっていないように感じ、違和感を覚えました。

 今思えば、あのときの感覚が自分に客観性というものを教えてくれた初めなのかもしれません。自分のものさしは、絶対的な基準ではない。自分が面白いから他人も面白い、なんていうことはないのだと痛感しました。

 明倫館で講師をしていて思うのは、今でも毎日が自分の客観性を試されているということです。子どもは思ったことをまっすぐに言ってくれるので、とてもありがたいです。「面白い」「つまらない」の基準を始めとして、「こういうことって、人としてどうかと思うのですが、先生はどう思いますか」など、人間としてどう生きたらよいのかに至るまで、さまざまなヒントを与えてくれます。

 この夏は、子どもたちにとっても正念場です。自分の置かれた状況をどれだけ把握できるか。客観視できるか。

 それを確認するためには、自分だけの世界、空間になるべくいないことが求められるかもしれません。“何”によって気づきを与えられるかなんて人それぞれなので、正解はありません。しかし、人となるべく関わりをもつこと、話し合いの場をもうけて積極的にコミュニケーションをとることが、結局は最短の道となることが多そうです。冒頭の鑑賞会当日、私は苦虫を噛みつぶしたような表情をしていたに違いありません。だって、自分がオススメだと信じていたものが、「もしかしたら、面白くないのかもしれない…」と思わされる感覚なんて、だれも味わいたいとは思いませんよね(笑)。しかし、このような苦い経験を通したことが、今の私には確実にいきている。さらに言うと、当時の私にも確実にいきていました。でも、高校生のときには、いきていることに気づけていませんでした。不思議なものです。

 ひとつ、子どもたちに安心してほしいのは、無駄な経験はないということ。「あぁ、なんて嫌な時間を過ごしてしまったんだ」と思った時点で心は揺らいでいるし、その心の揺らぎは確実に次に繋がっていくのです。気をつけてほしいのは、そういう心の揺らぎ全くがないような生活を送らないことです。安住の地に行くのはまだ早い。今はがむしゃらに動きまわりましょう。真剣な話し合いの場をもうけることです。人はひとりでは客観性がもてません。みんなで生み出し、みんなで変わっていくのです。そうした姿を今年もたくさん見させてください。

 兵庫県の摩耶山掬星台(まやさんきくせいだい)です。日本三大夜景のひとつと言われているようです。夜景でなくてすみません(笑)。でも、どれだけ綺麗なのかはこちらでも伝わりますよね。周りの人たちの声やたたずまいから、感動が伝わってくるようでした。