こんにちは。集団指導室長の鈴木です。
以前(6月29日)、長崎県の針尾送信所の話をさせて頂いた際に、鹿児島県の知覧に行くことを書きました。今日はそのときのことを記します。現地には知覧特攻平和会館という場所があり、見学をさせて頂きました。展示物を見て、あれだけ泣いたことはこれまでにありません。
中でも強く印象に残りましたのは、歩兵科出身である藤井一(はじめ)少佐のお話です。
藤井さんは熊谷飛行学校の中隊長で、少年飛行兵に軍人としての精神を教える人であったそうです。教え子たちが戦死する中、「お前たちだけを死なせはしない。俺も必ず逝く」と、自らも特攻を志願しました。しかし、航空技術の教官ではなかったので、却下されてしまいます。以後、何度も志願、却下が繰り返されたようです。
夫(藤井さん)の固い意思を知った妻(福子さん)は、「私たちがいたのではこの世の未練になり、思う存分の活躍ができないでしょうから、ひと足お先に逝って待っています」という遺書を残し、長女と次女を連れて、飛行学校近くの荒川に身を投げたといいます。
藤井さんは、妻子の死を無駄にしまいと、再度血染めの手紙を書き、「特攻隊員になりたい」と強く訴えました。軍は事情を考慮し、今度は受理をしました。そうして、藤井さんは特攻兵として飛び立ったそうです。
泣かずにはいられないお話です。強く心を打たれ、現地ではこのお話を何度も何度も再生しては、メモをとり続けました(館内には、タブレット型の音声ガイドがあります)。
自分がその立場であったら、藤井さんや奥さん、娘さんたちのような行動は取れません。
先人たちの想いが、この国を繋いでくださいました。
今日は、そのことを偲びたいと思います。
知覧からは、静岡県出身の青年も飛び立ったそうです。数えたところ、20名以上はいるようでした。この地からは、全国から集まった青年たちが特攻兵として飛び立ちました。そして、藤井さんのように、青年たちを指導した大人たちも責任を感じ、のちに飛び立ちました。みんなで一丸となって事にのぞんだのです。その潔さに、涙が溢れて止みません。