に出会えた喜びはひとしおで、今年の私にとってはやはり『堕落論』に尽きます。最近も『100分de名著 坂口安吾 堕落論』を取り寄せ、一気読みしました。それほどまでに胸を揺さぶるエネルギーが、この書物からは感じられます。
『100分de名著』シリーズのよいところは、自分が読んだ本について、専門家の解釈を覗けるところです。「自分の解釈は合っていたかな…」と、客観的にその点を確かめることができるので、大変ありがたい。解釈の一致があるとなんだかほっとしますし、「ここまで言語化できるとは! 専門家って凄いなぁ」と思わずうなってしまうこともあります。
『堕落論』は名前からして後ろ向きなイメージをもたれがちなので、読む前から嫌厭されてしまうケースが多いと思うのですが、以前紹介させて頂いた通り(7月21日投稿「カラクリと赤裸々」)、これほど人を励まし、鼓舞するものは他に類を見ないのではないかと思います。
今回、安吾の考えを文化論の面で受け継いだのが岡本太郎ではないかという話があり、刺激を受けました。確かに、ふたりは似ている側面があります。驚いたことに、安吾の新聞連載小説の挿絵を岡本太郎が描いていたことがあり、直接の交流もあったようです。
「既成の制度や規範から堕落して解放されよ、裸一貫になって自分の頭と心で考え、行動せよ」
安吾のメッセージは、時代を飛び越えて人を戒め、励ますエネルギーに満ち溢れています。
最後に、坂口安吾の本を読む直接のきっかけは、京都大学の入試問題でした。安吾のエッセーが出題されていたのです。京都大学を目指す生徒がいなければ、安吾のエッセーを読み込んで興味を惹かれるということはありませんでした。塾生には本当に感謝しています。どうもありがとう。京都大学には、岡本太郎の文章も出題されたことがあります。「自分が法隆寺になればよいのです」には衝撃を受けました(笑)。坂口安吾も法隆寺について言及していますから(停車場にすればよいとか言っている…!)、『100分de名著』を読んでいて、「あらゆることが繋がっていくなぁ」、と感慨深いものがありました。本との出会い、人との出会いが自分を未知の領域へと誘ってくれるかのようです。ありがたや…。
散歩の風景。安吾は、ただ実用のみを目指してつくられたものを美しいと感じていたようです。