こんばんは。集団指導室長の鈴木です。
ブログを超絶放置しておりました(´Д`;;;;;)モウシワケアリマセヌ。
ちょうど2ヶ月前から更新が途絶えておりましたが、今でも2ヶ月前のことで鮮明に覚えていることがあります(開き直っていてすみません)。
この日は附属中学校の前期テスト実施日でした。テストが終わり、自習室に来る子たちが減るかな、なんて思っていたのですが、いるわいるわ常連さんが。その内の1人の男の子に、「前期テストが終わったのに何で⁉︎」と話しかけると、その子が言うんです。
「前期テストは思うようにいかなかった。やり方が間違っていたから、今から勉強法を変えて、後期テストに備える」
愕然としました。そして、軽率な発言をしてしまった自分が恥ずかしくなりました。思っていた以上に、子どもたちの方が大人なのです。
1941年に書かれた『自由からの逃走』には、こんな一節があります。
気がついていようといまいと、自分自身でないことほど恥ずべきことはなく、自分自身でものを考え、感じ、話すことほど、誇りと幸福をあたえるものはない。
前半の「自分自身でないこと」というのは、例えばYouTuberがタメになる話をしてくれて、何だか知識が身について自分自身が偉くなったように感じることや、よりわかりやすく言えば、ブランド物をたくさん持っていて、自分が大物であるかのように感じることを言っています。
一方で後半は、自ら経験して実感することで得た満足感を表しています。
つまり、著者のフロムは、「着飾った自分になるな。そんなものはニセモノだ。自らの経験から手に入れた純粋なものを大切にせよ」というようなことを言いたいのだと思うのです。そこに真の幸福はある。
先ほどの子も、自分で経験して実感し、行動に移しています。本気で「このままではまずいな」と思えたのでしょう。その境地にまで中学2年生にして辿り着いたのですから、たいしたものですよね。それ事態が幸福じゃあないですか。いやぁ、いいものを見させてもらった聞かせてもらったなぁと、2ヶ月経っても昨日のことのように思い出します。この仕事は何歳になっても新鮮な驚きや感動に出会えますね。それを今を生きる子どもたちが教えてくれるわけですからたまりません。塾講師で良かったと思わせてくれます。
埼玉県川越市を訪れた際に撮った写真です。小江戸川越と呼ばれるように、お洒落な街並みでした。正面は「時の鐘」です。小学生に川越の話をしたときに、ご実家が川越だという子がいてびっくりしました。さらに、私が訪れた日にちあたりで帰省していた話を聞き、よけいに驚きました。気付かぬうちにすれ違っていたかもしれませんね。
ちなみに、前回の更新で載せている鼻ほじりーは、同市にある喜多院の五百羅漢のひとつでした。徳川家光の乳母で、大奥を任された春日局ゆかりのものが見られるということで立ち寄ったのですが、羅漢のインパクトが強すぎて印象に残っております(笑)。表情豊かな羅漢がたくさんありますから、訪れた際は皆さまもぜひ。