岩手県に北山崎という場所があります。昨年、私は4回ここを訪れました。車だと15時間ほどかかるのですが、その時間をかけてでも足を運びたくなる魅力がそこにはありました。

 初めて訪れたのは8月。やませの影響で霧が発生し、景色を拝むことができませんでした。

 実際の様子です。このときにはっきりとした景色を見れなかったことが、あと3回この地に足を運ばせることになります。悔しいことこの上ありませんでしたが、自然の前ではあまりにも無力でした。

 ただ、このときは夏でしたが、霧となったやませが身体に触れると思わず「冷たっ!」と口走っていました。やませは本当に冷害をもたらすんだ…と実感した瞬間でした。このようにして全身で感じたことは、この先ずっと忘れることはないでしょう。

 2回目に訪れたのは9月です。天候にも恵まれ、これは絶景が拝めるぞと意気込んでいましたが、なぜかしっくりこない。こんなに晴れているのなぜパッとしないのか…。

 理由は、訪れた時間帯でした。午後になっていたのです。太陽は東から昇り、西に沈むということを考慮していなかったのです。つまり、北山崎の断崖に日が当たるのは朝のうちなのです。私はこういうところに頭が回らないので、本当に馬鹿なのですが、こういった経験ができたことは有り難いなと思いました。次の日の朝にまた来てみようと思い、近くに泊まって夜を明かしました。

 そして、3回目です。朝4時に起き、5時に現地に着きました。朝焼けにテンションが上がります。気づけば走っていました。あの先にはどんな絶景が広がっているのだと、気持ちは高まるばかりです。

 残念ながら、雲で朝焼けは断崖にはっきりとは照らされず、辛酸をなめて静岡に帰りました。

 年内はもう無理かな…と思っていましたが、11月に行けそうだということになり、これが最後だという気持ちで現地に向かいました。

 今度は絶景でした。このショットではない写真を載せようとしたのですが、容量が大きすぎてブログに載せられないようなので泣く泣く断念しました。しかし、こちらの写真でも少しは伝わるのではないかと思われます。

 諦めなくて良かった…と心の底から思いました。今でもこの景色は、脳裏に焼きついております。また、このときの満足感が、今も私を支えてくれてもいます。

 実感からくる充実感・多幸感は一生ものです。

 今の若い世代には、頭で考えてばかりの感覚ではなく、全身で何かを感じることで得られる感覚をこそ大切にしてほしいなと思います。そういう肌感覚をもっていると、何をするときにでもわくわくすることができ、つい行動に移さざるを得なくなる。文明が進むにつれて、そういう感覚をもてる人間は少なくなってきているように思うのです。

おまけ

 写真は、さっぱ船に乗っているときのものです。北山崎では、こうして海から断崖を眺めたり、波が穏やかなときには裂け目を船で通り抜けたりできるなど、貴重な経験をさせて頂くことができます。少しお高いですが、さっぱ船に乗ることを強くおすすめします。