こんばんは。集団指導室長の鈴木です。
「先生、勉強をしていても身についている感覚がありません」
子どもたちからのSOSです。
今回は、「よし、身についているな!」と、どうしたら感じることができるのかについて考えてみたいと思います。
自分のことで恐縮ですが、学生の頃に世界史の一問一答形式問題を解いていたときのことです。
テスト範囲の語句を覚えたい。まずはひと通り答えてみるが、半分も覚えていない。
すぐに2周目を行う。1周目よりも少し覚えていた。半分まではまだ遠い。
5周したら半分覚えられたが、さっきまで言えていたはずのいくつかの語句が答えられない謎現象発生。
8周でほとんどの語句を言えるようになった。しかし、長めの語句が覚えられず、悪態をつくようになる。
10周目でも言えない語句が明らかに。このときは、「何で(語句が)出てこないんだー!」とつい声に出してしまう。以後、答えられない度に「クソ!」「何でやねん!」「うわー、惜しい」「俺の馬鹿!」というようなセリフを吐きまくった結果、全ての語句をようやく覚えられました。15周くらいしましたでしょうか。
このときの情景はよく覚えています。さらに、覚えた語句の一部はいまだに頭の中にあります。例えば、ローマ帝国の五賢帝はネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス・アントニヌス、というように(念のため合っているか調べましたが、ネルヴァは現在ネルウァと表記しているようです)。
なぜ、身についたのか? 自分なりにまとめてみます。
①短時間で徹底的に繰り返し覚えようとした。
②毎回答えを声に出して読み上げていた。
③途中から悪態をついたり思わず悔しさを表現したりと、全身で覚えたい気持ちを表すようになっていた。
覚える語句の量が多すぎたので、書くことはしていませんでした。それをしていたら、短時間で何回も繰り返すことはできなかったと思います。
子どもたちが「身についているのかな?」と感じてしまうのは、①そもそも「身についているかも」と実感できるほど繰り返し覚えようとしていない、②覚える過程が単調すぎて内容を味わうことができていないことなどが原因かもしれません。そして、これはとても大切なことなのですが、「こうしたら少ない回数で覚えられる」というような虫のいい話はないということです。よく覚えられている人は、間違いなく何回も繰り返し覚えようとしています。日本人は、泥臭く覚えようとするのは見栄えが悪いと思ってしまうからなのか、なかなか表立ってやっている姿を見せようとはしないようです。だから「あいつは勉強を全然していないという。しかし定期テストでは満点近い。地頭がいいんだな…」という神話がはびこってしまう。
でも、誰だって好きな動画とかゲームは何回も繰り返し見たり操作したりするものですよね? 上達する術はすぐ身近にお手本が山ほどあるのに、なぜか勉強に応用できない人が多いような気がします。勉強だから敷居が高い? そんなのは思い込みだって。
やっていないくせに決めつけたがる輩が昨今増えている気がしてなりません。言い訳探しに走らないで、早く行動に移せと声を大にして言いたくなります。
結局のところ、やったもん勝ちなのです。以前のブログでも書きましたが、改めて記しておきましょう。
ただ、やればいい。
出勤時の風景。この奥行きが好きなんだよなぁ。