年明けに、NHKスペシャル「ドキュメント 能登半島地震 緊迫の72時間」を見た。そして、今日は録画していた「能登半島地震1年 被災地からの声 復興の行方」と「それでも故郷に花は咲く~能登・限界集落の1年~」の2番組を見ている。
涙が止まらない。嗚咽に近い。
番組中、届いた視聴者からのメッセージが画面下に表示される。中には、「万博をやっている場合ではない」というものがあり、「その通りだ」と思いつつも、自分だって「こんなことしている場合じゃない」ということばかりしてしまっていることに気づく。
なんだかなぁ。
番組を見ていて、自分にも何か手伝えることがないかとそわそわする一方で、「仕事など、日々の生活もあるしなぁ」と言い訳がましい声も聞こえてくる。
被災している方々はそんなことを考える余裕すらなく今を生きているのに、恥ずかしい限りである。
メッセージには「政府は何をやっているんだ」というものもあった。国が先陣を切って、各企業から数名ずつボランティアを募って現地に向かわせることなどはできないのだろうか。困っているときは助け合うことだよな、ということになぜならないのか。メディアで伝えるよりも、現地に赴く人が増え、その人たちが地元に帰って被災の現状を伝えるほうが何倍も助け合いの輪が拡がるのではないのだろうか。
しかし、万博がどうだとか政府がどうだとか言う前に、自分自身が何もできていないことが不甲斐ない。結局は行動に移す勇気がないのだ。
なんだかなぁ。
三保の松原と富士山。危機を感じることもなく、平穏な気持ちで歩けることのありがたさ。元日を過ごすことが怖い、という感覚がどれほどつらいことか。推し量ることしかできない。